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テロの悲劇を乗り越え未来へ走る – あのボストンマラソンから

この記事は約8分で読めます。
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2013年、知人が出場するボストンマラソンを見に行きました。
伝統的で世界的に有名な権威のあるマラソン会場で、突如起きたテロ事件。

そしてその後、私たち住民はとても怖い思いをし、悲しい思いをしました。
しかしボストニアンは、強い魂でその悲しみと苦しみを乗り越え、さらなる強さを手に入れました。

その過程を、経験をもとに、お届けします。

2013年 ボストンマラソン

ボストンマラソンの歴史と伝統

世界中の市民ランナーが「一生に一度は走ってみたい大会」として憧れるボストンマラソン。

1897年に第1回が開催されたボストンマラソンは、世界で最も長い歴史を持つ激戦の舞台です。
世界規模のマラソン大会として初めて、女子ランナーの参加や車いすでの参加を認めたことでも有名です。

しかも資格タイムをクリアした「選ばれたランナー」しか出場できません。
ちなみにコースは、前半は下りが続き、後半30km以降には心臓破りの坂が現れる、かなりの難コース。

毎年4月の第3月曜日に開催されます。

2013年は、4月15日に開催されました。
ゴール地点は、ボストンの観光中心地です。

2013年 ボストンマラソン

2013年ボストンマラソンと爆弾テロ事件の様子

ボストンマラソン当日 2013年4月15日

ゴール付近には、23000人を超えるランナー、スタッフ、もちろん警備隊もいます。
そして、その周辺には応援客が集まっていました。

2013年 ボストンマラソン

そんな盛り上がりを見せていた午後2時45分ごろ、爆音が鳴り響きました。
そしてお祭り騒ぎは、突如大混乱と恐怖に陥ります。

私たちは異常な数の緊急車両とすれ違いながら、帰宅の途につきます。

操作後に発表された内容は、12秒間隔で仕掛けられた2つの手製爆弾がゴールライン近くで爆発。
その爆発で3人が亡くなり、281人が負傷。
うち12人は手足の切断を余儀なくされるほどの重傷を負いました。

このとき、マラソンゴール付近に加え、図書館でも爆発があったとの情報がありました。
そのため街中あちこちで爆発が起きていてどこも危険、という恐怖感に包まれました。

ボストンは大混乱の中、国を挙げての捜査が始まります。
マサチューセッツ工科大学からは、ボストン市内からすぐに離れるよう指示があります。

懸命な捜査による事件の手がかり

翌日4月16日には、現場から圧力鍋の破片が回収されました。
そして防犯カメラや地元の人々からの映像を精査します。
事件の様子は一日中、報道され続けました。

そして4月17日には、2人の容疑者が浮かび、報道されました。
大きな黒いバックパックを背負った2人。
しかし爆発後には、バックパックを背負わずに歩き去る鮮明な姿が映っていました。

これでようやく、手掛かりがつかめて犯人が捕まり、普通の生活が戻ることを祈る私たちでした。
こうして企業や店舗は再開され、人々は少しずつ外出し始めます。

MITの警官が射殺される

ところが、4月18日、午後10時半ごろ、マサチューセッツ工科大学警備の警官が射殺されるという悲しい事件が再び発生します。
犯人は警官の銃を奪おうとしましたが、銃はロックされており奪われませんでした。

学生たちと親しかった26歳の若い警官。
彼が命を落としてしまう事件に、職員も学生も市民も、また肩を落とします。

たった数時間前に歩いた、家のすぐそばの路で、事件は発生しました。
同時に近隣の町全体が外出禁止となりました。
外は静まりかえり、聴こえるのはサイレンの音だけです。

明確ではないものの、テロの犯人の仕業であろうと誰もが考えていたように思います。

街中での銃撃戦の末、犯人確保

そしてここから、事態は急速に変化します。

MITでの事件があったその真夜中、犯人たちは車を奪って逃走しました。
その後ウォータータウンに潜伏していたところ、通報により駆け付けた警察との銃撃戦へ。
市民は全員自宅待機となり、一歩も出ることなく、テレビ中継を見守っていました。

犯人の一人は銃撃戦の間に、共犯者である兄弟に車でひかれて死亡。

そして翌日4月19日、もう一人は、住宅の庭のボートの中に潜伏していたところを通報され、赤外線カメラで捉えられました。
この間、ヘリコプターからの赤外線カメラに映る犯人の姿が、テレビ中継されていました。

そしてついに突入、最後の犯人が確保されました。

外出禁止は解除となりました。
帰路につく多数の警察官たちを拍手で見送る街の人々の様子がライブ放送されています。

ボストンに住んでいた人なら、誰もが知っている事件の様子。
この間、公共交通機関はすべて停止、学校、企業、店舗もすべて営業を停止しました。
そして全員が自宅待機のため、固唾をのんで、この2日間の事態をテレビで観ていたことでしょう。

事件後のボストンと人々の反応

犯人が逮捕されて、ようやく平和な日々が戻ってきたボストン。
被害者への祈りのため、現場近くにあるトリニティ教会前にはたくさんの人が集まりました。

街で起きた無分別な暴力行為によって命を落とした人々や影響を受けた人々を永遠に記憶すること。
そしてこれまで以上に、ボストンは希望と強さを持ち、そして復活の街であり、どんな困難も乗り越えられると、「ボストンストロング」の言葉を掲げ、市民は悲しみを乗り越えることにしました。

でもやはり、人が集まる場所に行くのが怖い、と外出できなくなった友人もいました。
この事件以来、私も、公共施設にモノが置かれていると近寄れません。
それがたとえ、ゴミらしきものであったとしても。

ボストンマラソンの復活と新たなスタート

そんな悲しみとともに生きるボストンに、2013年10月30日、レッドソックスが歓喜の瞬間をもたらしてくれました。

レッドソックスのワールドチャンピオンは、2007年以来。
またフェンウェイパークでの優勝はなんと95年ぶり。

彼らに勇気と喜びをもらい、優勝パレードでは多くの市民が選手の功績を称えました。

こうしてボストンは、少しずつ以前の姿を取り戻し、さらに活気のある街へと変貌をとげました。

最後に

ボストンの歴史あるマラソン大会を悲劇の舞台に変えた事件。
市民は心身ともに深い痛みを負いました。

そして少しずつ回復の兆しをみせ始めたボストンに、大勝利によるとどめの歓喜をもたらしたレッドソックスの選手たち。

さらに、ボストンマラソンはその翌年2014年にも開催され、負傷した市民を含めて多くの人が参加しました。

決して許される事件ではなかったけれど、忘れることなく、さらに強さを持ったボストンを、これからも応援したいと思います。

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2013年4月15日。殺人課の刑事トミー(マーク・ウォルバーグ)は朝からボストンマラソンの警備に駆り出されていた。この歴史ある大会は、毎年祝日“パトリオット・デイ”に開催され、この日も50万人の観衆で賑わっていた。次々と走者がゴールし最高潮の盛り上がりの最中、トミーの背後で突如大爆発が起こる。歓声は悲鳴に変わり、逃げ惑う人々と折り重なって倒れる負傷者で現場はパニックとなる。到着したFBIのリック(ケヴィン・ベーコン)は散乱した金属片を見て「これはテロだ」と断言、大規模な捜査本部が設置された。やがて監視カメラに映る不審な“黒い帽子の男”と“白い帽子の男”が容疑者として浮上する…。

事件の概要とその後

一般に公表されているこの事件の経緯は下記の通りです。

2013年4月15日 14:50頃、ボストンマラソンのゴール付近で、2回の爆発が起こり、3名が死亡、少なくとも264名が負傷しました。
また負傷した生存者には脚を失う重傷者が多数いました。

爆発は、Boylston Street にて発生し、釘などが入った圧力鍋で作られていました。
なお犠牲者は、8歳の男の子、29歳の女性、大学院生の中国出身の女性の3名。

2013年4月15日 

ボストンマラソンのフィニッシュライン近辺で 2つの爆弾が爆発する。
爆弾は互いに8〜12秒以内に、約50〜100ヤード離れて爆発する。
そして18時10分、オバマ大統領は、ホワイトハウスの記者団に対し会見を開く。

2013年4月16日 

オバマ大統領はホワイトハウスで、テロ行為と結論付け発表する。
当局は、昨日他の爆発物が発見されたとの発表があったが、爆弾が2つしかなかったことを確認している。
また当局は、明確な容疑者はおらず、その動機も不明であると報告している。

2013年4月17日

連邦警察当局は、爆破に使用された圧力鍋の蓋が現場の屋上で発見されたと報告。

2013年4月18日 

FBIは容疑者の映像を公開する。
なお容疑者は、後に兄弟、Tamerlan Tsarnaev(26)、とDzhokhar Tsarnaev(19)とされる。

マサチューセッツ工科大学の警察官ショーン・コリアがキャンパスで銃殺される。

すぐ後、ツァルナエフ兄弟は学生の車を奪い逃走、ドライバーは約30分後に自力で脱出する。

警官が追い、犯人は窓から爆薬を投げ、警官と銃撃戦となる。
そこでTamerlanは負傷し、その後Beth Israel Hospitalで死亡する。
なお当局によると、彼は銃弾で怪我を負っていた。

2013年4月19日 

ボストン警察は、犯人をマサチューセッツ州ケンブリッジの兄弟のTamerlan TsarnaevとDzhokhar Tsarnaevとして認識。
彼らはチェチェン出身で合法的に米国に移住している。

また、Tamerlanは警察との銃撃戦で射殺された人物であると特定される。
さらにマサチューセッツ州ダートマス大学の学生であるDzhokhar Tsarnaevが逃走中。

当日、数百人の警官が、ウォータータウン20通りで、Dzhokhar Tsarnaevを捜索。
当局はまだマサチューセッツ州にいるとし、ボストンエリアの住民は犯人捜索中外出禁止となる。

午後6時から午後7時、ウォータータウンの住人がボートを点検し、タープの下にいる血まみれの男を発見。
午後8時15分  当局は、彼らがDzhokhar Tsarnaevと思われる人物と発表した。

警察は後にTsarnaevを拘留した。
彼は重篤な状態で入院した。

後に新たに3名がこのテロに関連して逮捕されている。

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